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古典文学に見る男と女シリーズ 第62回
受験を思い出してしまう方もいるかもしれませんが・・・・
徒然草 137段
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。歌の詞書にも、『花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ』とも、『障る事ありてまからで』なども書けるは、『花を見て』と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊にかたくななる人ぞ、『この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし』などは言ふめる。<br>
桜は満開、月は満月だけが良いものだろうか。雨の日、月を思い、簾の内にこもり春の行方も知らない生活も情緒がある。花が咲く前の梢、花が散った後の庭にも見所がある。花に拘った歌より、花が散り、月が傾くことを慕うほうがよい。「この枝も、あの枝も花が散って、もう見所なんて無い」などと、言うやからは物のあわれを知らぬ者なのだ。
風流を愛する平安人ならではですね。
これに対して、粋を愛する江戸時代の国学者である本居宣長は批判をしてます。
玉勝間 巻四 231段
兼好法師がつれづれ草に、花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかはとかいへるは、いかにぞや、いにしへの歌どもに、花は盛りなる、月は隈なきを見たるよりも、花のもとには、風をかこち、月の夜は、雲をいとひ、あるはまちをしむ心づくしをよめるぞ多くて、こゝろ深きも、ことにさる歌におほかるは、みな花は盛りをのどかに見まほしく、月は隈なからむことをおもふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬ を歎きたるなれ、いづこの歌にかは、花に風をまち、月に雲をねがひたるはあらん、さるをかの法師がいへるごとくなるは、人の心にさかひたる、後の世のさかしら心の、つくり風流にして、まことのみやびごゝろにはあらず、かの法師がいへる言ども、此たぐひ多し、皆同じ事也、すべてなべての人のねがふ心にたがへるを、雅とするは、つくりことぞおほかりける
超意訳
兼好法師の言っていることは、格好つけているだけ。誰が、散っている花のほうがよいとか、隠れている月のほうが良いなんて思うのか。桜は満開、月はばっちり見える方が良いに決まってる。
まぁ・・・・どちらでも良いのですけれどね。
宣長説だけでは、身もふたも無いというか、
ピチピチした女の子だけが良いってワケ?なんて思ったりするのよね。
単なる熟女好きは別として、
女性のさまざまなところを見てきた、経験してきた男性は、
その年代ならではの美しさ、女らしさを知っている。
女性も丁寧に年齢を重ねてきた方は、
自分が出きることはもちろんした上で、痛い無理無謀なことはしない。
その年齢ならではの美しさの表現を知っている。
ワインに好き好きがあるように、
女性にも男性にも好き好きがある。
好き同士の折り合いで、ねんごろになれば良いだけなのよね。
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